« 絵で綴る糖病絵日記 Vol.1 〜やるぞ、生活習慣病をやっつけろ!〜 | メイン | 3ヶ月で15キロやせた方の体験談 »
2004年03月19日
第1話「糖尿病記念日」
手元に一枚の紹介状が残っている。兵庫県西宮市で開業していたM先生のものだ。日付は1999年3月29日。本当は開封しないのが礼儀だが、先生はもう亡くなってしまい、宛先の先生もすでに廃業してしまったので、もう時効だろう。
「主訴:慢性アルコール肝炎、慢性胃炎、糖尿病。 食後3時間のHbA1cは6.3で、尿中糖++、血糖は236mg/dl。御高診並びに御治療を宜しくお願い申し上げます」
思えばこの日が私の「糖尿病記念日」だった。
この日の先生との会話は今でも鮮明だ。先生は漢方医療の専門家で、かれこれ5年ほど通っていた。勤務地が変わった後も、時々の出張では欠かさず足を運んでいた。
先生「あかんなあ。とうとう糖尿病やで。血糖値がこの数字やもの」
私「そんな高いですか? 最近、飯食い過ぎたかなあ」
「そういう問題やあらへん。でもなあ。糖尿病だけは漢方ではどないにもならんねや。基本的には」
「そうですか。でも、そう先生のところへ通っているわけにもいかへんし。ほな紹介状書いてもらえますか」
「ええよ。ほな書いておくわ。それとなあ、ほんまはこの数字やと『教育入院』言うてな。1週間くらい病院に入って、どういう食事をしたらええんか、きっちり教わるのがあるねん。でもなあ。無理やろ、そんな時間取るのは……」
「そらそうですわ。なんぞ他に手はないんですか」
「まあ、食べるもの少し、控えめにすることやな。それとグリミクロン言うて血糖値を下げる薬を出すから、これを毎朝、1錠の半分ずつ呑んでみて。処方できるのは2週分やから、それから後は紹介状の先の先生からもらって。それでまた、様子を見ることにするから」
「ほな、紹介状持って、近くの医者にも行きますが、また連絡します」
特に患者の立場からすると、あれこれと訴えたいことは多いはず。それも「えたい」の知れない病気のことだ。M先生はちょっとしたことでも耳を傾けてくれていた。「上司が張り切っていて気が疲れる」「夫婦仲がよくない」なんていう精神的な話から、もちろん肉体的な話も。一種の「カウンセラー」だったような気がする。カルテも全部、日本語で書いているので、患者もなにをどう理解してくれているのか、百も承知。かかっている内にクセのある字も読み慣れていた。M先生はこの時に至る以前から、糖尿病に至ることを危惧していたのは事実。しきりに血液検査の度に、不適切な領域に入っているデータのあることを知らせてくれていた。しかし、特に生活習慣を変える訳にもいかず、なおざりにしていた患者だった。
さて、この日、急にM医師に「糖尿病」と言われても、自覚症状はなかった。世上、よく言われるのが「疲れやすくなった」「喉が乾く」などなど。でもそんな覚えはない。会社の健康診断でも「太り過ぎ」とは言われても注意を受けたことはなく、正直のところ、一過性のものだろうとタカをくくっていた。ともかく明確な痛いだの、痒いだのという自覚症状がないのだから。
M先生はこの直後、以前から患っていた膀胱癌が悪化、死去してしまった。自分の体のことを相談する相手を失ったことで、しばらく空白の時間が流れていくことになる。糖尿病は「成人病」から「生活習慣病」と変わった呼び名が定着していったように思う。
思い付いて調べて見ると、当時の厚生省がこの呼称の導入を検討しはじめたのが1996年10月21日。正式決定が同年12月19日のことだった。
投稿者 ageclinic : 2004年03月19日 23:09