« 「夏場の健康管理、3つのアドバイス」 | メイン | 牧田先生との出会い »
2005年01月18日
忘れえぬ患者さん −今も忘れられない言葉−
その患者Aさんは私が医師になって始めて看取った方で、52歳とは思えない若さに満ち溢れた女性でした。いろいろなシーンが今でもまざまざと思い出されるのですが、特に医師に対する大きな期待というものを骨身に沁みるほど教えてくれた方でもありました。
昭和54年3月に北海道大学を卒業して、短い研修を終えたころはすでに冷たい秋風が吹きすさぶ季節になっていました、札幌郊外の病院に出張が決まったときは新天地での生活に心の高揚感を抑えられませんでした。しかも若い医師にとっては地方病院でこそが、一人前の医者としての腕を磨く最大の機会でも有ます。しかも、そのときは生涯忘れられない貴重な体験をするとは夢にも思いませんでした。
赴任翌朝、さっそく前任医師からの引継ぎを受けます。胃潰瘍や肝炎などのありふれた病気の方々の説明を手短に済ますと、一呼吸置き、「最後に1人多発性骨髄腫と思われる患者さんがいるのだ」と厳粛な声で言われました。「この血液のデータと尿の蛋白のパターンから言って、まず間違いない」とキッパリ言った後、ベッドサイドに足を運び紹介してくれました。
まさにその日から、Aさんのことが私の心を大きく占めることになりました。次第に回診が難しくなりました。堪らなく気が重く、出来ればその病室は避けて通りたいほどなのですがそうは行きません。骨髄腫は悪性の血液の癌で、根本的に治す治療法がないため、どうしても日々悪化してしまいます。しかも、全身の骨が犯され体中に耐えがたい痛みが起きます。当時は、癌であること決して告げることはしません。家族からも癌と悟られないよう最大限の努力を頼まれています。本当の病気がいえないためどうしても「では検査してみましょう」とか「このお薬ならきっと楽になりますよ」などとその場しのぎの言い訳を食い返すことになってしまいす。穏やかだったAさんも次第に不満顔になってゆきます。そしてとうとうある日、その恨みは爆発し「先生にかかっていたら悪くなる一方です。とにかくこの痛み、早く何とかしてください」胸の辺りをさすってびっくりするような大声で怒鳴りだしました。そのときはベテランの先生に来てもらい、何とか取り繕ってもらいました。実はがんが進行して骨折までおこしているための痛みです。「痛みは簡単にはよくならない。ああ明日はどうあの患者さまに言い訳をしたらいいのだろう」とすっかり困り果てていました。しかし、次の日、重い気持ちで回診に行くと、どういうわけか昨日とは打って変わって穏やかな様子です。なにが起こったのかと驚くほどにわたしの下手なうそに黙って肯くのです。そして最後に、ゆっくりと諭すような口調で「牧田先生いつも有難う。これからも一生懸命勉強していいお医者さんになってくださいね」と言ってくれました。わたしはスーッと気が楽になりましたが、後で考えてみるともう自分はもう直ることのない病気であることをはっきりと悟っていたのでしょう。その日を境に、病気は急速に進行し数日後からは意識朦朧の状態になってしまいました。1週間ほど過ぎたある夕方,Aさんは苦しむこともなく潮が引くように呼吸が停止しました。心臓マッサージをしている間はわたしばかりでなく、詰所の看護婦さんたち全員が大粒の涙を浮かべていました。自宅に帰ってから「一生懸命勉強して」という言葉が蘇ってきました。その響きは決して未熟なわたしに対する恨みではなく、私への感謝と強い願いだったそのとき確信しました。
時が過ぎ、仕事に慣れて当たり前の繰り返しになるたびにAさんの声が聞こえてきました。あれから早くも23年の月日が流れました。私もベテランの医師になり、専門医療には誰にも負けないという自信持つことが出来ました。あの励ましの言葉はこれからも私の人生を照らしてくれることでしょう。
投稿者 ageclinic : 2005年01月18日 22:59