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2005年01月21日
第8話 敵を知り己を知れば・・・
医者で受診する度に、静脈からの採血を繰り返される。
刺される患者に痛みが伴うのは当然だが、看護師の側も又、神経を遣うらしい。

血管が探り出しやすい患者もいれば、見付けにくい者もいる。
彼女らにとっては患者以上に真剣勝負の一瞬であるとも言えよう。

個人的に言えば、採血されることは苦にならない。むしろ励みだと言っていい。
どんなに精密な自己血糖測定器でも、他の体液の混入はさけられず、誤差がある。
自分の経験で言えば最大で50単位程も少なめに表示されたことがあった。
だからこそ、医師の許での血液検査を重視するのだ。
「敵を知り自れを知れば百戦してあや殆ふからず」とは中国古代の兵法書「孫子」の言葉だが、
敵とは即ち糖尿病、自れとは言う迄もなく自分の病状である。
患者は修行僧ではない。朝一椀の粥を食べ、昼にも同じ。
一汁ニ菜の規則正しい生活なら、又、それが続くと云うのなら、数値は変わるまい。
だが、誘惑の多い俗世に暮らす身だ。付き合いで深酒をすることもあるだろうし、
どうしても天ぷらやステーキが食べたいと思う日もある。
病気にはよくないにせよ、我慢を無闇に自分に課すばかりでは、節制は長続きはしない。
ならば、清濁併せ呑むつもりで、成るべく自然な生活をし、
その結果を冷静に受け止める方が利口ではないか。
先週、暴飲暴食が多かったな、と思えば数値は正直に反応する。
翌週の生活の自戒の種にすればいい。それだけの事ではないか。
自分の経験で言えば、焼肉を連日の様に食べた後よりも、簡単に握り飯だけで済ませたり、
そばだけで済ませた方が結果は思わしくない気がする。
と云うのは、副菜があれば、どうしても食欲は多様な方向に向く。
一見ヘルシーなように見える、そばや握り飯は、これ即ち炭水化物の権化だ。
ヘルシーな気分だが、量を食べないことには心理的に満足はできない。
量を食べれば体内でブドウ糖に変わり、血糖値は上昇する。
食べる物もカロリー表示やヘルシーなイメージに惑わされてはいけないのだ。
しばらく自己測定をしていれば、同じ酒を飲んだとしても、ビールが上がりやすいのか、
本当に日本酒が病気に悪いのか、など体質に合ったものが見えてくるだろう。
この見極めが、糖尿病という病との長い「付き合い」をしていく上では、欠かせないと思う。
投稿者 ageclinic : 2005年01月21日 13:51