AGE 内科クリニック
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2005年01月21日

第8話 敵を知り己を知れば・・・

医者で受診する度に、静脈からの採血を繰り返される。
刺される患者に痛みが伴うのは当然だが、看護師の側も又、神経を遣うらしい。

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血管が探り出しやすい患者もいれば、見付けにくい者もいる。
彼女らにとっては患者以上に真剣勝負の一瞬であるとも言えよう。

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個人的に言えば、採血されることは苦にならない。むしろ励みだと言っていい。
どんなに精密な自己血糖測定器でも、他の体液の混入はさけられず、誤差がある。
自分の経験で言えば最大で50単位程も少なめに表示されたことがあった。
だからこそ、医師の許での血液検査を重視するのだ。

「敵を知り自れを知れば百戦してあや殆ふからず」とは中国古代の兵法書「孫子」の言葉だが、
敵とは即ち糖尿病、自れとは言う迄もなく自分の病状である。

患者は修行僧ではない。朝一椀の粥を食べ、昼にも同じ。
一汁ニ菜の規則正しい生活なら、又、それが続くと云うのなら、数値は変わるまい。

だが、誘惑の多い俗世に暮らす身だ。付き合いで深酒をすることもあるだろうし、
どうしても天ぷらやステーキが食べたいと思う日もある。
病気にはよくないにせよ、我慢を無闇に自分に課すばかりでは、節制は長続きはしない。

ならば、清濁併せ呑むつもりで、成るべく自然な生活をし、
その結果を冷静に受け止める方が利口ではないか。
先週、暴飲暴食が多かったな、と思えば数値は正直に反応する。
翌週の生活の自戒の種にすればいい。それだけの事ではないか。

自分の経験で言えば、焼肉を連日の様に食べた後よりも、簡単に握り飯だけで済ませたり、
そばだけで済ませた方が結果は思わしくない気がする。

と云うのは、副菜があれば、どうしても食欲は多様な方向に向く。
一見ヘルシーなように見える、そばや握り飯は、これ即ち炭水化物の権化だ。
ヘルシーな気分だが、量を食べないことには心理的に満足はできない。
量を食べれば体内でブドウ糖に変わり、血糖値は上昇する。
食べる物もカロリー表示やヘルシーなイメージに惑わされてはいけないのだ。

しばらく自己測定をしていれば、同じ酒を飲んだとしても、ビールが上がりやすいのか、
本当に日本酒が病気に悪いのか、など体質に合ったものが見えてくるだろう。
この見極めが、糖尿病という病との長い「付き合い」をしていく上では、欠かせないと思う。

投稿者 ageclinic : 13:51

2004年07月25日

第7話 HbA1c

 牧田医師の懇切丁寧な説明を受けて、おぼろげながら、病気のことが分かってきた。 しかし、それで満足はできない。 なぜか。 自分の言葉で、自分が納得できないことなど、何も実行できるはずがないからだ。


 まず、牧田医師が重視する検査値として挙げた「HbA1c」について調べ始めた。 以前は血糖値、尿検査と騒いでいたはず。 いざ調べようにもひと昔なら、分厚くて難解で、しかも値段の高い医学書をひっくり返さなくてはならなかったろう。 でも今はインターネットがある。 こういう時には実に便利だ。


 キーワードにして検索する。 いくつかのホームページに当たってみて、何となく理解できた。 以下、自分の理解の順番を綴っていくと……


 1)血液の中の赤血球にあるのがヘモグロビン(酸素を運搬しているって、生物の時間に習いませんでしたか。酸素より一酸化炭素の方が結びつきやすくて、これで中毒が起き、鮮紅色の血液になる、なんて法医学で習いました)。 ヘモグロビンは赤くて鉄を含む「ヘモ」の部分と、タンパク質でできている「グロビン」が結びついたもの。 で、グロビンの部分の種類によってヘモグロビンはHbA、HbA2、HbFに分かれる。


 2)赤血球は骨髄で作られ、体内を3カ月前後の間、駆けめぐる。 この間に、赤血球中のヘモグロビンは血液中の糖類やその副産物と結合していく。 この結合した後のヘモグロビンをグリコヘモグロビンと呼ぶ。


 3)で、HbAを分析すると、グリコヘモグロビンになったものを分離することができ、これがHbA1と呼ばれる。 主なものはHbA1a、HbA1b、HbA1c。 このうち、HbA1cは「血糖」が結合してできたもの。


 4)だから、HbA1cの値を測定すれば、赤血球の中に蓄積している血糖の量をしることができ、その程度で赤血球が血管の中にある期間の平均血糖値を反映することになる。


 5)だから、一時、食事を我慢して、血糖値を下げても、いかに不摂生をしているかは医者にはバレる。


 かつては血糖値の上がり下がりで一喜一憂していたものだが、今はむしろ、医者がこの数値をなぜ重んじるのか、何となく理屈が分かってきた。 理屈が分かれば、この数値が己の今を知るのに、格好の手がかり、ということも納得できるのではないだろうか。


 HbA1cが8で平均血糖値は180、6で120、5で90。 そう簡単に上がり下がりするものではないと納得もできる。 何しろ、赤血球は約3カ月の寿命だ。 当時の食事の後の血糖値を見ると、200は突破していることが大半。 それでは、この検査値が9を超えるのも当たり前のことだ。 逆に言えば、食後に測定したときに、少しでも血糖値が下がっているのにはどうしたらいいのか、手探りしていけばいいことになる。


 ここで役に立ったのが、前回登場の血糖値の自己測定器。周囲の糖尿病の諸先輩は、食事のカロリーをしきりに気にしていたし、1単位がどうのこうの、と食事の栄養表を片手に計算していた。 しかし、自分で測定している限り、必ずしもカロリーと血糖値の上がり下がりがダイレクトには相関関係がないことに気付いた。 何を食べたときに跳ね上がるのか、自分の体と相談していくことにした。


 ともかく、風邪や下痢になった訳ではない。 医者に言われるままにするばかりではなく、長期戦を構えるのなら、患者もアタマでっかちになっておくことも時に必要、だと思う。

投稿者 ageclinic : 12:00

2004年07月14日

第6話 「自己測定」 テスト

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牧田医師が真っ先に勧めてくれたのが「自己測定」だった。

自己測定というと、針で指先を突いて血を絞り出し、検査紙の上に載せて測定する姿が思い浮かぶ。指先というのは、神経が集中している場所だ。そこにだれが好きこのんで針など突き刺すものか。

勝手な想定とは裏腹に、牧田医師が取り出してきたのは、最新式とかいう、腕で測定できる器械だった。「何しろ、アメリカ人は不器用ですからね。こういう器械はすべて自動化されているんですよ」との説明。

確かに、その使用方法の説明を実地で受けてみると、痛くない。いじましくも見える、指先の血を絞り出す測定の姿に比べても背筋を伸ばしている分、形がいいのはいうまでもない。

 「ともかく、自分の血糖値をきちんと把握することから始めましょう。きちんと把握すれば、対策も立てやすくなりますから」と牧田医師。内心は少々面倒臭いことをいうものと思いつつも、そこは面従腹背。「ではやって見ます」

 一緒に手渡されたのは血糖値の自己測定結果を記録する、カーボン用紙のついた手帳だった。それによると、「朝食前、後、昼食前、後、夕食前、後、就寝前」の5回測定するように指示が出ている。

 「一日に5度も針を刺していたのでは、腕が腫れ上がっちゃうし、嫌なこった」とここでまた反抗しつつ、一式を受け取って帰宅した。

測り始めたころの数値を引き写してみよう。166、148、132、161、168という具合。いずれも朝食前の空腹時血糖値、というものだ。

でも指示通りに1日5回も測定はしなかったが、そんなに苦にはならない作業だった。身の回りを見回せば、糖尿病の同病相憐れむ仲間はいる訳で、その人たちに、この測定器を見せると、「これなら負担にならないよ」との声。実際に計測の体験を勧めるとこういう答えが戻ってきた。

もう一つ。手帳にボールペンでいちいち記入するのが億劫になっていたので、そこは表計算ソフトを利用して、記録を残すことにした。これなら、何をその食事で食べたのか、あるいは万歩計を付けているのなら、その日は何歩歩いたのか、酒は飲んだのか、勤務は何だったのか、などなど、自分に合わせた事項を記入することもできる。人間、ラジオ体操の皆勤賞と一緒で、こういう数字を記入することに凝り出すと、測定も結構続くものだ。

この表を作り始めて、何を食べたのかを書くことにしたが、食べた品目をいちいち書くことはしなかった。食べた場所だけを書いた。というのは、人間の中で、「どこで」だけを記憶の手がかりに残しておけば、結構、何をだれと食べたかということは思い出すからだ。必要以上には手間を掛けない。長続きさせるための秘訣でもある。

投稿者 ageclinic : 23:41

第5話「診断」

 血液検査の結果はすぐに出た。血糖値は381、HbA1cとやらいう数値は9.9だった。血糖値が高過ぎるのは、素人でもすぐに分かった。だって確か基準値は120だったはず。以前、主治医のM先生が教育入院を勧めてくれたのは、わずか200を超えたころだったはず。数字を聞いた途端に、「食事制限」「眼底出血」「教育入院」などなど、予備知識で仕入れていた単語が脳裏に浮かぶ。「こりゃインシュリンを注射しないと……」など宣告されたら、とも思った。インスリン注射の様子は、やはり先に挙げた「糖尿列島」の中にも出てくる。

 内心の動揺とは裏腹に、医師がどんな反応を示してくるかも、患者として大事な観察ポイントだろう。少なくとも僕はそう思っている。想定できるパターンを挙げると……。
1)恫喝+脅迫型
 「何でこんなになるまで、医者にかからなかったのですか。大変な検査値ですよ。体に異常はないですか? とにかく正常値がかくかくしかじかで、あなたの場合はこんな数字になっているんですから。大変なのは分かるでしょう。これから指示することをきちんと守ってもらわないと」
2)即断一人合点型
 「数値が悪いですねえ。うん、治すにはまず、ご自身が病気について分かってもらわないことには始まりませんから。すぐに入院の手続きを取りましょう。眼底検査は? していない。そう。そっちとかの検査も急いでしないと。この数値ですからね。仕事も何もないですよ。すぐに検査入院しないと」

 というのが大半の医師だろう。大変なことが起きているのは言われるまでもなく、当の本人が一番分かっていることだ。大変だと分かっている人間の前で、大変だと言われても手の打ちようもあるまい。

 で、牧田医師。「かなり悪いですね。今、体中が砂糖漬けになっているようなものです。脳の働きが鈍っているのはもちろん、神経もかなり麻痺している状態でしょう」と言いつつ、音叉を右手首に押し当てた。「振動を感じなくなったら教えてくださいね」と指示。振動が止まったと思って反応すると「健康な人の80%くらいの感度にまで落ちているでしょうかね。ブドウ糖というのは、人間が生きて行くには欠かせないものですが、それが多過ぎて消化できずに血液の中に流れ出してしまうのが糖尿病です」という具合に説明が始まった。

 以下かいつまんでいうと、糖尿病のメカニズムの説明から始まって、具体的にはどういう症状が現れているのか、このままの状態では病態はどう進行していくのか、この検査値は何を表しているのか、などなど、患者に分かるように説明が続いた。約30分くらいだったろうか。

 途中で何度も繰り返して出てきた言葉が一つ。「今は悪いですけど、大丈夫。必ず私が治しますから」。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」ではないが、医者がまず「見放した」となっては、患者はなすすべがない。無益な脅かしも時によりけり、だと思う。

 とりあえず、この日は今後の治療方針。「ともかくまず血糖値を下げましょう。それから一つずつ治療の方向を考えて行きましょう。検査結果が出るのは1週後ですから、そのころに来てください。それと水分をきちんと多めにとってくださいね」。
 こう言い添えられて、初診は終わった。

 その夜。仕事関係の大先輩から電話。「おい、夜は暇か? ああ、大丈夫。そう。なら柳橋の鰻屋、前川にいるから。飯でも食おう」。前川といえば、池波正太郎の随筆にも出てくる鰻の名店。この機会を逃せばまたいつ行く機会があるかしれたものではない。娑婆も今生の別れにするのもいいかと、誘いに乗って、うざくに鰻巻き、白焼きに蒲焼き、仕上げに鰻重、肝吸いと鰻尽くしをしでかしたのだから、何をかいわんや、だったか。

投稿者 ageclinic : 23:40

2004年05月09日

第4話「障害」

 仕事場で、食事の後、意識が遠のくようになった。部下と話しをしている最中でも、眠りこけてしまう。阿佐田哲也で有名になった「ナルコレプシー」だと言い訳していたが、何のことはない、後で分かったことだが、単なる高血糖障害だった。


 目が霞むようになった。もともと近眼ではあるが、近くを見て、目線を上げて遠くを見ると、しばらく焦点が合うまで、時間がかかるようになった。そして霞む感じがどうしても拭えない。眼鏡のレンズが汚れているのかと拭き直しても戻らない。


 そんなころ、仕事先でショッキングな出来事があった。目が資本の商売に就いている方なのだが、長年の不摂生を重ねているのは承知していた。その方が欠勤したのだ。その欠勤に際しての診断書に曰く、「糖尿病による眼底出血。左目は失明状態、右目は治療中」と言った要旨だった。


 目が見えなくなるのは何よりも困るのはお互いさま。先述の通り、目に障害が出始めている自覚はある。いよいよ本腰を入れて糖尿病に取り組まざるを得ないことを覚悟した。


 目が霞む話をしていたら、仕事先の先輩が言ってくれた。「オレの経験だと、血糖値は400を超えているな。きちんと診察を受けた方がいいぞ」


 太る一方で一時は98キロまで増えていた体重も、減少の一途。特にダイエットを意識したわけではないのに、だ。体重が85キロを切るまでに減っていた。足がしびれるような感じがあったり、肩から首筋にかけての凝りがひどくなったり。次々と起こる症状に覚悟を決める時が来たのを悟らざるを得ない。


 そんなころ、行きつけのある小料理屋の店主が開業したばかりの専門医が近くにいることを紹介してくれた。「ともかく、行ってごらんよ。考えた方がいいよ」という次第。たどり着いたのが、Dr.牧田のこのAGE内科クリニックだった。


 時に2003年5月1日。訪ねてみると、ビルの5階、清楚な内装の院内だった。「新しいお客さんを連れてきました」と上記の小料理屋店主に紹介されて、保険証を差し出す。自覚症状を調査票に書き込んで待つことしばし。「まず検査をしてみましょう」と穏やかな声に促されて、検尿と採血。この時のデータは、びっくりするような数値になっていた。


 あとで部下に聞くと、体の変調は前年秋くらいから、目に付いていたという。「何か疲れやすくなっていたような感じですねえ」と。それだけ分かっているのなら、言葉に出して言えよ、という感じではあったが、それは言っても詮無いことではある。

投稿者 ageclinic : 23:39

第3話「糖尿列島」

 自覚症状がなくても、病状は静かに進行していく。自分が病気と診断されることをどこかで怖がっているというべきか。それでも頭の片隅からは「糖尿病ですよ」と診断された一言は消えるものではなく、知識を得ようとしたり、民間療法に頼ろうとしたり。あがきが続いた。


 そんなころに読んだ1冊に角川文庫所収の「糖尿列島」という本があった。新聞記者が糖尿病で倒れて、教育入院をしていくという内容の本。中に記述しているのは、人間は飢餓には強いものの、飽食には対応がうまくできない生き物であるということ、飽食の結果として糖尿病が発症して、全身に合併症が起きて「腐るように」死に至る病気であること、などなど。


 中で印象的だったのが教育入院の下りだ。食事管理をされ、綿密なカロリー計算をして日々の食事を摂る生活ぶり。これを読んだだけで、自分にはもう「無理だ」と内心思っていた。


 文の中で繰り返し出てくるのが、血糖値。入院中に食事を節制して、これを必死に下げようと努める姿が何人も出てくる。自分もこうなるのかと思いつつ、年に2度の定期健康診断の時だけは、食事をケアして血糖値を下げる小細工をする。健康診断の目をごまかすぐらいなら、何とかできるレベルだった。ごまかしてもそれは一時のこと。それでも強制的に入院させられるような事態だけは避けたい一心だ。どうせ一度は死ぬのだからと諦観に似た言葉を繰り返しつつ、実は何も悟っていないというのはいうまでもない。


 民間療法の一種なのだろうか。体調を気にしているのを知った知人がくれたアマゾンの奥地で採集した樹液、というのも飲んだ。アルコールで滲出させているような感じだが、水に溶かして1日1回服用する。1本2万円で取り次いでいるとか聞いた。それから通信販売だけで扱っていた保健指定食品になっている「××茶」を常用したり。何とか自分をごまかそう、という気分だった。


 ある時、わきの下に赤い発疹が出ているのに気が付いた。ちょっと痛い。診療所で受診すると「帯状疱疹ですね」。病名は知っているが、確かかなり年かさになってから発症する病気ではないのか。耳を疑いつつ、紹介された皮膚科に行くと、厳格な表情ながら、面白い口調の老医師が言った。「こりゃ帯状疱疹です。真面目に治さないといけないよ。とにかく1週間通って、きちんと注射を受けなさい」。


 帯状疱疹というと、要は水疱瘡の後遺症。脊髄の中に生き残っていた水疱瘡のウイルスが体の抵抗力が弱った時に活動を再開するというもの。神経に沿って発症するので発疹の列が帯状に伸びる。「でも、ねえ。ちゃんと健康診断受けているの?」と老医師。「疲れているのか、不摂生か? ともかく、この病気が出るようだと、体力が落ちている証拠なのだから、きちんと検査した方がいいよ」。待合室には、糖尿病への対応とか、その相談を受け付ける旨の張り紙があった。誰でもない、自分自身が本当の原因をうっすらと承知しているだけに、覚悟を決めざるを得ないのかな、という感じだった。


 異変は続く。切り傷がいつまでも治らないのだ。「かさぶた」状のものはできるのだが、その下は乾かないまま。肉も盛り上がってこない。最初の内は化膿してしまったかな、と思うくらいだったのが、数カ月治っていないのに気が付く。とある時、指の傷跡を見た知人がこういった。「おまえ、血糖値が高いだろう。そんな風に傷が治らないのは糖尿病の証拠だぞ」と言われた。確かにそうだった。膝頭と右手中指の傷は今年の新年会の帰りに転倒して負ったもの。しかしもう、4カ月は経とうというのに、未だに治らないままだった。自覚症状がないままに、確実に病状が進んでいることを「自覚」せざるをえない、のが現状だった。

投稿者 ageclinic : 23:22

2004年04月08日

第2話「教育入院」

 西宮の主治医に紹介状を2通、書いてもらったので、1通は手近な診療所に持ち込んだ。紹介状に目を通すと、医師曰く


「こりゃ、入院した方がいいですねえ」


「え?」と私。


「教育入院というんですけど、1〜2週間ほど、入院生活を送ってもらってこの間に、糖尿病の患者として、どういう病気なのか、どういう食生活や運動をしたらいいのか、学んでもらうわけです。時間は取れますか?」


 早手回しに、この医師は紹介状を書き、いきなり入院の手続きをとりかねない勢いだった。


「でも先生。私は仕事が詰まっているので、そんな時間は取れません」


「そんなこと言っても、健康を保ててこその仕事でしょう。仕事と体とどっちが大事だと思っているんですか。そもそも、きちんと自己管理ができないから、こういう病気になるんでしょう。まず、きちんと自分で病気を治す心構えを持ってもらわないと……」


「でも、ともかく無理です。今月はこれ、来月になればあれと仕事が続きます。代わりを頼める人間もいません。とにかく1週間も入院している時間的な余裕はありません」


「そんなことを言うのなら、勝手にしなさい。私は教育入院を勧めたのだから。それが嫌だというのなら仕方ない。私は手の打ちようがない。せいぜい、体重を減らして、1日1200キロカロリー以下の食事にする。分かりましたか。それを守ることですね」


「ええ、それで結構です。せいぜい、そのように努力します。自己責任で体に気を付けるようにしますから。では」


 今、振り返ると、何とも大人げない限りだが、ほとんど喧嘩別れ状態だった。権柄付くのあまりのお互いの遣り取りに、傍らにいた看護師が帰り際に耳元でささやいてくれたほどだった。「水曜日の午前中の先生は、糖尿が専門だから。その日にまた来たらいいと思うわよ」


 是非はともかく、ここまでで「糖尿病=通院=教育入院の勧告」という図式ができあがってしまった。親戚にも知人にも糖尿病の患者はいる。彼ら彼女らの生活を見ていると、カロリー制限だの、1単位200キロカロリーで1日6単位だの、七面倒なことを考えなくてはいけなくなるのは目に見えている。そんなのなんて御免蒙りたい話だ。まして、「血糖値が高い」と言われたって、そのころの本人には何の自覚症状もないのだから、そういうことをしなくてはいけないという一念発起をするような切迫感もない。


 好きなものを好きなだけ食べてそれで死ぬというのならそれも本望、という考えがアタマをもたげる。それっきりになってしまった。


 もちろん、頭の片隅には「糖尿病」の3文字がこびりついているので、糖尿病の闘病記を折りに触れて読んだ。本の中にはこの「入院生活」が如何に認識を新たにするのに役立ったのか、描いていたのも承知した。また、知人がブラジルのアマゾンの原住民が精製しているとかいう怪しげな樹液を飲んだり、あるいは玄米がいいと言われれば炊いて食べたり。このころ、読んだ本の1冊に「糖尿病とは全身が徐々に腐っていくような病気だ」とあったのを鮮明に覚えている。だからといって、何か具体的な対策をとったのか、といわれればそうではない。


 振り返ってみると、このころは首筋から背中にかけての肩こりがひどかった。自宅近くの鍼灸によく通っていた。なにを申し立てた訳ではないけど、そこの受診票にはしっかりと書いてあった。「糖尿病の疑い」と。疑いどころではなく、紛れもない糖尿病だったのだが。


 でも、静かに、少しずつ体の変調は進んでいた。

投稿者 ageclinic : 23:37

2004年03月19日

第1話「糖尿病記念日」

手元に一枚の紹介状が残っている。兵庫県西宮市で開業していたM先生のものだ。日付は1999年3月29日。本当は開封しないのが礼儀だが、先生はもう亡くなってしまい、宛先の先生もすでに廃業してしまったので、もう時効だろう。

 「主訴:慢性アルコール肝炎、慢性胃炎、糖尿病。 食後3時間のHbA1cは6.3で、尿中糖++、血糖は236mg/dl。御高診並びに御治療を宜しくお願い申し上げます」

 思えばこの日が私の「糖尿病記念日」だった。

 この日の先生との会話は今でも鮮明だ。先生は漢方医療の専門家で、かれこれ5年ほど通っていた。勤務地が変わった後も、時々の出張では欠かさず足を運んでいた。

 先生「あかんなあ。とうとう糖尿病やで。血糖値がこの数字やもの」
 私「そんな高いですか? 最近、飯食い過ぎたかなあ」
 「そういう問題やあらへん。でもなあ。糖尿病だけは漢方ではどないにもならんねや。基本的には」
 「そうですか。でも、そう先生のところへ通っているわけにもいかへんし。ほな紹介状書いてもらえますか」
 「ええよ。ほな書いておくわ。それとなあ、ほんまはこの数字やと『教育入院』言うてな。1週間くらい病院に入って、どういう食事をしたらええんか、きっちり教わるのがあるねん。でもなあ。無理やろ、そんな時間取るのは……」
 「そらそうですわ。なんぞ他に手はないんですか」
 「まあ、食べるもの少し、控えめにすることやな。それとグリミクロン言うて血糖値を下げる薬を出すから、これを毎朝、1錠の半分ずつ呑んでみて。処方できるのは2週分やから、それから後は紹介状の先の先生からもらって。それでまた、様子を見ることにするから」
 「ほな、紹介状持って、近くの医者にも行きますが、また連絡します」

 特に患者の立場からすると、あれこれと訴えたいことは多いはず。それも「えたい」の知れない病気のことだ。M先生はちょっとしたことでも耳を傾けてくれていた。「上司が張り切っていて気が疲れる」「夫婦仲がよくない」なんていう精神的な話から、もちろん肉体的な話も。一種の「カウンセラー」だったような気がする。カルテも全部、日本語で書いているので、患者もなにをどう理解してくれているのか、百も承知。かかっている内にクセのある字も読み慣れていた。M先生はこの時に至る以前から、糖尿病に至ることを危惧していたのは事実。しきりに血液検査の度に、不適切な領域に入っているデータのあることを知らせてくれていた。しかし、特に生活習慣を変える訳にもいかず、なおざりにしていた患者だった。

 さて、この日、急にM医師に「糖尿病」と言われても、自覚症状はなかった。世上、よく言われるのが「疲れやすくなった」「喉が乾く」などなど。でもそんな覚えはない。会社の健康診断でも「太り過ぎ」とは言われても注意を受けたことはなく、正直のところ、一過性のものだろうとタカをくくっていた。ともかく明確な痛いだの、痒いだのという自覚症状がないのだから。

 M先生はこの直後、以前から患っていた膀胱癌が悪化、死去してしまった。自分の体のことを相談する相手を失ったことで、しばらく空白の時間が流れていくことになる。糖尿病は「成人病」から「生活習慣病」と変わった呼び名が定着していったように思う。

 思い付いて調べて見ると、当時の厚生省がこの呼称の導入を検討しはじめたのが1996年10月21日。正式決定が同年12月19日のことだった。

投稿者 ageclinic : 23:09